突然襲った椎間板ヘルニア。仕事にも影響してしまい、本当に心苦しかった。そして心だけでなく身体も苦しかった。これといった原因は思い出せないが、県外出張の疲れもあったような気がする…。

11月12日 「MRIの結果、腰椎椎間板ヘルニアです」と少し残念そうに先生は言った。子供のころから体力には自信があったので宣告を受けた時はしょうがないとは思いながらも内心ショックはあった。ただ前に屈むことはできないが立つことはできるし歩くことはできるし、踊ることもできた。今一度、足の打ち方、姿勢、腹筋・背筋の筋力トレーニングの見直しと体重の見直しをすれば大丈夫だろう、ぐらいの気持ちでいた。
一番ショックだったのは薬局で薬をもらう際に、「うわっ、 椎間板ヘルニアだったんですね…」とすごく重たい病気のように腫れ物に触るように言われたことだった…。

11月13日 まだ軽い気持ちでいたが、朝起きたら腰から踝まで足の外側に激痛が走る。歩くことはおろか座ることも立つこともできない状態に。寝たきり状態となり、動くのはトイレとお風呂の時だけ。次の日から入っていた沖縄出張を心苦しいながら泣く泣くキャンセルさせていただく…。沖縄のみなさんからの温かい言葉たちに申し訳ない気持ちとありがたい気持ちと…。とにかくベッドで安静。

11月15日 強い痛みがなかなかおさまらない為再度病院へ。痛み止めの量を増やしてもらう。19日からのクラスに向けて、痛みが引かなかったときのために、18日に神経根ブロックの予約をする。

11月18日 痛みがひかないため、予約していた神経根ブロック決行。冷や汗が出るほどの激痛!からの30分で効果が消える、むしろ悪くなったぐらいの感覚。目の前が真っ暗になる。そのまま入院しますか。という病院からの提案があったが、心の準備も整っていないのと、なんとか歩けるのでまだあわーい希望を持って一旦家に帰る。ここからが痛みと寝たきり生活の地獄が始まる。先生より「年内の仕事は一旦調整してしっかり治す時間にしましょう」と言われる。

11月19日 激痛で、完全に要介護状態。家での生活に限界を感じ病院へ入院できないか相談。ベッドがいっぱいで、金曜からなら受け入れ可能とのこと。さすがにいよいよシャレにならない痛み。心苦しいながらも年内の仕事を調整する。沢山の優しい言葉をいただく…。厳しい言葉と現実を叩きつけてきた案件もありましたが…。この痛みではしょうがない。

11月20日 ベッドでのたうち回る日々の中、病院より連絡「木曜日から個室でしたら受け入れできます」即答でお願いする。

11月21日〜25日 朝、到底玄関までも自分で移動できないと判断し、救急車を呼び、ベッドから病院まで運んでもらう。病院の先生より、「強い痛みが取れないので、手術を考えた方がいい」と。痛みと初めての入院とで心の準備も伴わず、おどおどしていると、「手術するしない関わらず準備だけは進めていきます」とのこと。病院のベッドでは完全に寝たきり状態で、看護師さん達のプロフェッショナルな仕事に感心しながらも、強い痛みでのたうち回る日々が続く。一人の看護師さんは痛い足を30分以上さすってくれた。はじめは痛くて泣いていたが、後半は不甲斐なさと優しい看護師さんに泣いた。

11月26日 家族にも来てもらい、現状説明、手術の説明、リスクについて等、先生がMRIやCT、レントゲンの画像を交えてしっかりと説明してくださる。激痛で、寝たきりで憔悴しきっている私には手術以外の選択肢はなかった。丁寧な先生の説明、人柄、信頼できる!と思えたし、委ねることにする。家族も安心した様子。人生初の手術で不安と緊張に覆われていたら練習している生徒さんの写真が届いて涙。ドラマみたいに、「うん、私大丈夫。」ってなる。

11月27日 手術当日。朝9時半に搬入、家族が励ましに来てくれる。まずは全身麻酔、すぐに先生の声が遠くなる。数時間後無事に手術が終わったと起こされる。先生方や看護師の方、家族の声が遠くで聞こえる。意識が遠い。何度か先生も来てくださったと思うが意識が朦朧。結局18時まで眠った。痛みで不眠が続いていたため、相当疲れていたのか、目覚めるのがだいぶ遅かったらしい。看護師さんが、元気づけてくれる。のたうちまわるような痛みがなくなっている。でもまだぼーっとしてる…。

11月28日 先生がいらして手術で摘出した骨を見せてくださる。先生曰く「犯人を連行してきた!」と。ちょっと笑えるように言ってくれたんだと思う。この約2週間の激痛の根源!それは想像したよりずっと美しいものだった。ので憎しみは全く湧かなかった。むしろタカラモノみたいにきらきらしていた。
のたうちまわって何もできなかった私を知っている看護師さんたちが次々に声をかけてくださった。傷口に気をつけて、しっかり安静にするように言われる。

11月29日 ようやく尿道の管を抜き、立ってみる。歩行器を使って歩いてみる。大きなトラウマが立つことへ恐怖心を与える。明らかに、特に右足の筋力が落ちている。しびれもまだある。でも、でも立てた!なんとか歩けた!立つことができたクララの気分。やっと1人でトイレに行けた。すごい感謝すべきことと思えた。

11月30日 部屋の中は歩行器なしで歩いていいと言われる。トイレ、部屋の整理、洗顔など自由にできるようになる。リハビリでは歩行器なしでも歩く練習をする。

12月1日 歩行器があれば病院内を歩いていいと言われる。入院して10日。やっと病室から出れるようになる!

そして今日、12月2日、病院の生活にも慣れてきて昨晩は久しぶりにぐっすり眠れた。とにかく心配してくださっている方々に連絡を始めようと思い、この2週間ほど何があったか、また忘備録としてここに書くことにした。

プロフェッショナルな救急隊員、看護師、理学療法士、そして手術をしてくれた先生、全身麻酔をしてくださった先生、励ましの言葉をくださった沢山の方々、みなさんがいなければ乗り越えることは到底できなかったです。とにかく献身的な家族には本当に感謝しています。みなさん、本当にありがとうございます。

しっかりとリハビリしていきながら、色んなことをまた見直しながら、元気に回復して、また邁進して参ります。

状況に応じてですが遅くとも来週前半には退院できる予定です。島唄とフラメンコの公演は予定通り出演します。また少しづつクラスも復活して参ります。

県外のお仕事は、飛行機など含めた移動時間、重たい荷物、タイトなスケジュール、など大体負担が大きいことが重なるためもう少し時間をいただいて復帰していけたらと思っております。

今回、いつも元気な私が考えもしなかった体験になりましたが、沢山の時間とともに、色々と見つめ直す機会になりました。なかなかこんな時間は持てないので、本当に感謝しています。
皆さま、忙しい師走に入りましたが、これからもどうぞよろしくお願いします。

令和元年12月2日(月)病院個室にて