友人がコルドバのコンクールに挑戦するというので、週末を利用してコルドバまで行ってきた。
ここスペインでコンクールに挑戦するということ。
彼女たちの心意気と精神力の強さに心打たれて、
心から尊敬して、
そして、同じフラメンコを踊る日本人としてしかと見届けたく、
応援したく、
深夜マドリッドからバスに乗り込んだ。
コルドバのGran Teatroのバックステージでそのコンクールは行われた。
思ったより随分小さい舞台で、観客も200人限定だった。
レベルに関して言えば、想像してたより幅広く、すでにプロとして活躍するレベルの高いアーティストもいれば、目を疑うような信じられないレベルの踊り手もいた。
でもやはり歴史ある権威あるコンクールとあって挑戦するアーティスト達の緊張感が観客まで届いた。
踊り手は予選で2曲を踊る。
3〜4人のグループで初めに1曲目を、1曲目を順番通りに踊り終えたら今度は2曲目をまた順番に踊る。
審査員は、途中で止めることも出来るらしいが、踊りの予選1日目に関していえば曲の途中で止められた人は1人もいなかった。
そして、踊りの順番は苗字のアルファベット順。
午前は3人のみで11時〜12時まで。
午後に13人。
午後は、18時〜22時半まで。
なぜにもっとうまい具合に午前に見ない?もともと公式サイトにも、2時までと書いてあったじゃないか、、、
という疑問があるが、ここはスペイン、こういうことには慣れてきた。
午前の部も午後の部も約2時間前から並んだ。
午後は、とにかく長かった。
日本のコンクールを見ていても思うことだが、限られた時間で、どれだけを伝えられるか、どれだけ空気を充実することができるか、が非常に重要だと思う。
テクニックは絶対に必要不可欠だけど、多くの実力ある踊り手が空気を変えられないまま、空気をつかめないまま、もしくは何も伝えられないまませわしく動いて、汗をかいて終わってしまう。
また、伝える手段を間違って、もしくは一方的すぎて、残念ながら観客をうんざりさせてしまうパターン。
このパターンは、一歩間違えるとフラメンコの乱用に見えてしまう。
折角フラメンコのエッセンスが沢山あるのに、なんだか切なくなる。
テクニック以前にもう見る気を失ってしまう。
また、空気感も充分、いい感じだ!って思った人でも、そこにテクニックがないと、なんだか物足りなく見えて、結局20分の踊りを通して何が伝えたかったんだろう?と疑問に思えてしまうパターン。
今回日本から参加する3人のうちの2人は、予選1日目の最後を飾った。
体型、骨格、肉の付き方、顔の作りはもちろん、さらに外見だけでなく、食べるものも文化も言語も国民性も性格も違う。
もちろんフラメンコへのアプローチも表現方法も違う。
言葉で表すのはすごく難しいが絶対的にスペイン人と”違う”のだ。
日本人がフラメンコを踊るということは、まずこの絶対的に違う、ということからはじまるんだと今更ながらに痛感した。
こっちの観客は、日本のそれよりもずっと素直で分かりやすい。反応がダイレクトだ。
人は”違う”ものを受け入れるのに少なくとも時間を要する。
会場から、
“あれ、なんか違う、え?日本人??”
という素直な反応がビシビシ伝わってくる。
異様な空気が流れる。
まずそれを取り除くためには、強烈なインパクトが必要だし、やっぱり月並みだけど、日本人がフラメンコを踊る、特にコンクールという場所で踊るということは”難しい”ことなんだと感じた。
でも、多くの日本人がフラメンコに真摯に向き合って、
長い時間をかけて、
人生をかけて、
生活をかけてフラメンコを学び、
そして表現しているんだ、
ということは、見ているみんなの頭の片隅に残ったはずだし、私は挑戦した彼女たちを心から誇りに思った。(僭越ながら、私にはそんな実力も勇気もない。。)。
そして、ここスペインで”違う”ものとして生活している一種の難しさが分かるだけに、私自身、私個人的には、ものすごく勇気をもらった。
堂々とあの舞台にたったことは本当にすごいことだと思う。
そして、心からお疲れ様と伝えたいし、私もがんばりたい気持ちがモリモリ湧き上がった。
もうひとつふと思ったことは、同じフラメンコでも、沢山のスタイルがあって、誰1人として同じじゃないだけにまず、フラメンコを知らない人がフラメンコを理解するのが難しい。
そして、フラメンコの醍醐味が、”共有すること”だとしたら、少なからず見ている観客もフラメンコを知ってた方が圧倒的に楽しめる。だから知らない人は、”なんだかすごい!”と思っても”楽しめる!”ということまでは初見では到達できないんじゃないかと。
それがフラメンコがいまいち広がっていかない原因でもあるのかな?と。
フラメンコ芸術の性格自体が、ぶわっと広がるような種類ではないのかな?と。。。
今回の予選1日目で私的に印象に残った2人。
1人は超絶テクニック。
カンテやギターすら印象から消し去るほどの強い存在感と、視覚を刺激する動き、そして正確で強いサパテアード。
1人舞台。舞台ももっと小さく見える。
カンテもギターもいらないんじゃないか、と思うほど。
でも充分な自信と気合、またそれを裏付けるテクニックで観客を納得させた。
もう1人はこてこて古いフラメンコを愛してやまないのが伝わる、ある意味とても地味な踊り手。
衣装も、パソも古めかしく。
全部のパソが見覚えあるような、次に何をするかわかってしまうような。
でも終始、超絶シンプルに徹して、カンテから素晴らしい歌を引き出して、空気が満ち満ちて、大きなエネルギーで観客ごとふわっと包み混んでどこかへ連れて行った。
体型も小柄で、目を見張るような美人でもない彼女が、最後は美しく、強く、輝いてみえた。
気づいたら涙がボロボロ止まらなかった。